sa-montorautoのブログ

大学生による暇つぶしブログ

水は、沸騰したら、飛ぶ、(クリームシチュー編)

 2月はなぜかバイトが多くて死にかけています。どうも僕です。

 なんでか知らないけど二月空いてますかって聞かれたからめっちゃ暇ですよって返したらこうなった。今週休みが二日しかない、社会人と一緒やん。というと

 「今月しか働いてないくせに俺らと一緒にすんなバカ!!」と思われそうなので先に謝っておく。すみませんでした。

 本題に入ろう。私は先週クリームシチューを自炊したわけだがなぜだかいつも具材が鍋からあふれ出すのだ。これは俺に責任があるのかはたまた鍋が悪いのか。俺は悪いことはしていないのでたぶん鍋が悪いのだろう。

 時に皆さん。カレーの作り方は知っているだろうか。カレーとはどんだけへたくそな人でも作れてしまう魔法の料理だ。パッケージの裏側に丁寧に作り方まで書いてある。

 しかああし。。。

 

 料理が本当に下手な人というのは具材を入れる段階ですでに失敗しているのだ!!

 

 この写真を見てほしい。

f:id:sa-montorauto:20220222184216j:plain

f:id:sa-montorauto:20220222184224j:plain

f:id:sa-montorauto:20220222184231j:plain

一つ言わせてほしい。

 

 いけると思ったんだ!!!!!本当に!!!!

 マジで行けると思ったの。一番最後の写真が具材入れた段階なんだけど

 「入ったしいけるやろ」水入れる「あふれそうやん」沸騰する「ダメやん」

 知らんかったよね。まさか沸騰すると水があふれるとは。そこの笑ったあなた、考えてほしい。水は、沸騰したら、減るでしょ?そらそうよ水蒸気になるんやからへるにきっとるやん。しかし俺は知らなかった。

 水は、沸騰したら、飛ぶ、

らしい。なんでだ?わからん。具材入れて水入れてうわ、表面張力で耐えてるやったぜ!あとは沸騰させたらみずへるし完璧やん。。。全然完璧じゃなかった。何なら途中でヘラもぶっこんだからその分もあふれた。そらそうよ、100分の100入ってるところに+20は入らんって。漏れるて。俺思うんやけど料理してるときってメチャクチャIQ下がってると思う。少なくともおれ料理してるときはおしゃべりできないからIQ20はないことは確定してるなうん。で結局中身ちょっと減らして作ったわ。まあなんだ、何事も経験よな。俺はそう思う。カレーはうまくいくんだけどなあなんでなんやろか。

 最後に、クリームシチューこれで作るの三回目。二回これと同じことしてる。

 もしかしたら、経験から何も学んでいない?

やらなきゃいけないことがあるときほどくだらないものにドはまりするよね

 きょう提出の課題があるだとか、今日までにここまではやらなきゃ終わらないみたいなときほどしょ――もないことに時間を費やしてしまうことはないだろうか。

 私は今日珍しく朝ちゃんと起きすがすがしい朝を迎えたのだがなにせ朝に起きないもんだから朝から何をすればいいのかが全くわからんわけよ。とりあえず朝といえば朝ご飯だけど家にはなんもないし朝ご飯をコンビニに買いに行くのも違うなとか思いながらスマホをぼんやりと眺めてたわけ。

 案の定昼になってたけど天気が良かったのでバイクでどこかに行こうと思っていろいろ探してたら見つけちゃったわけ、面白そうなスマホのアプリを。

 俺の好きな実況者がカイロソフトという会社の面白そうなゲームをやっててそれを見つけてしまったわけ。さっそくダウンロード。

 …あっという間にに時間が経過していた。時刻は昼の3時過ぎ、どこかに出かけるにはもう遅く、というか1日の中で3時が一番微妙よね。わかる?一日中バイトしてるときとかも3時てみるとがっかりするよね。おれだけかな?

 だから昔の人はこの微妙な時間をおやつの時間とし、少しでもモチベを上げようとしたんだろうなという考察がはかどる。あと書き方がすごいぐちゃぐちゃになってると思うけど許してほしい。今は12時近いんだ。明日君たちは仕事だろ?残念。僕は休みだ。

 何が言いたいかというと眠いから文章が変になってる。奇をてらってなくていいだろ?俺は大体いつもこんな感じだ。

 話を戻そう。そう面白いゲームを見つけた話だ。結論から言うと俺の素晴らしい一日はこいつに全部消えた。すばらしい雲一つないような晴天の中。仕事だ学校だと世間があわただしい中。俺は一人、薄暗い部屋のベットの上で黙々とこのゲームをやり続けていたわけだ。食事もとらずにな。そんな俺が飯も課題も人生も全部忘れてやりこんだゲームがこれだ。

 ミニチュア無人島サバイバル

今調べてて気づいたんだけどこれカイロソフトが出してるゲームじゃないっぽいすまんな。

 がち脳死でできる。やってみてほしい。これを読んでこのゲームをプレイしてみてほしい。

 そしてそのアプリを開いて閉じることには圧倒的虚無感と、今日という日が終わりを告げるという事実を目の前に絶望してほしい。このゲームが与えてくれるものはたった二つ。

         圧倒的絶望感と無力感だけだ。

俺が味わったものをお前たちも味わえ。逃げるなよ?

二年住んでて初めて家のエアコンが壊れていたことに気付いた成人男性。

 皆さんは自宅の暖房器具に気を配ったことはあるだろうか。事の発端は先日友人とゲームをしているときに発覚した。

 「冬ってマジ寒いよね暖房25度に設定してても寒くて手が震えるもん。」

 「25度って熱くね?」

 「ダイソンのやつで部屋の温度見たら14度て書いてあるわ」

 「ぶっこわれてるやん」

  このやり取り以降もしかしたら部屋のエアコンが壊れているという疑惑が浮上した。なにせこの家に来る前は実家だったし実家の部屋のエアコンの温度など確認したことがない。25度でこの寒さは冬だし仕方がないと二年間信じ込んでいた。調べてみると暖房を25度に設定するとお母さんに怒られるレベルであることが発覚。世間一般では25度は高すぎるということが分かった。

 次の日さっそく業者に連絡して家に来て調べてもらったところ

 「普通の暖房って30度に設定すると代替50度前後の熱風が出るんですよ」

 「はい」

 「これ30度しか出てないです」

 「はい?」

 「壊れてますね」

 壊れていた。私の頭も暖房も。

 今まで暖房の25度は25度の熱風が出るということだと思っていたがこの25度というのはどうやら部屋の温度を25度にするということらしい。なるほど知らなかった。

 後日新しいエアコンが届いた。さっそくつけてみる。前のエアコンの時は25度で12度、エアコンをつけない状態の部屋の温度は7度前後、25度に設定してエアコンをつくてみる。14度。

 

 もしかしたら何も変わってないかもしれない。END

弟の中学受験が終わった。。。受かったぞおおおおおおおおおおおおおおやったああああああああああああ

 久しぶり。私だ。最終更新をさかのぼってみると12月1日の更新を最後に失踪したかに見えた私だが書くことを辞めたわけではない。ただ忙しかったのだ。ゼミの選考から始まり度重なる期末試験。Escape from Tarkovのワイプに友人とのダークソウル3のクリア耐久勝負。それらをクリアするのに2か月ほど忙しかったのだ。

 それはそうと2月のビックイベントとして中学受験というものがある。私もそうだが受験期のあの比率くような緊張感は寿命を3年ほど縮めていると思う。1月あたりに一度実家に顔を出したのだが弟に会うと弟の気が散るといわれて1時間で追い出された。行くのに1時間半かかるのに。

 世の中には中学受験を逃げだの金持ちのやることだのと言われているが実際はそうじゃない。声を大にして言いたい。

 

      中学受験は高校受験からの逃げである!! 

 

 私も中学受験をして高校受験を受けなかったがつくづく高校受験をしなくてよかったと考えている。

 1つ、高校受験は3年勝負である。高校一年生から内定を気にして勉強しなくてはならない。馬鹿め期末試験対策を前日に始める私にとっては最悪だ。できるわけがない。

 2つ、英語が入ってくる。最悪だ、終わってる。今だからこそ言えるが大学に入ってすぐ塾の講師のアルバイトをしようと試験を受けたところ中学レベルの英語で0点を記録したことがある。恥ずかしくて誰にもいまだ言えていない。自分が英語が不得意である可能性が高いと思うのであれば高校受験は避けるべきだろう。今でも覚えている私は個別塾に通いながら一週間前からみっちりと英語だけを勉強した結果中学3年の2学期期末テスト29点を記録し、テストを八つ裂きにして親の呼び出しを食らったことある。その時にオヤジに言われた言葉が

 「世の中に英語を使わない職業だってある。お父さんとそれを探そう」

 あの時の父親の優しい顔。私は忘れない。

 3つ目は高校受験には保険がない。ここが一番重要だ。中学受験は落ちても公立の中学に行けばいい。だが高校は落ちたらそれまでだ。落ちる可能性のある所に対してチャレンジ受験をすることすら学校側は許可しない。これはつらい。行きたいところに挑戦すらできないことは一生心に残り続けるだろう。

 4つ、高校受験よりも中学受験のほうが受かりやすい。中学受験は圧倒的に数が少ない。高校受験は全国の中学生が受けてくるのに対して中学受験をしたい小学生のほうがはるかに数か少ない。また落ちたとしても勉強する習慣のついている小学生は中学に上がった後有利であることは確かである。

 

なんか久しぶりすぎて本題と関係ないことばかり書いてしまった。本題はこんな事じゃない。

 

おとうとよおおおおおおおごうかくおめでとおおおおおおおおおおおおおおおお

弟が達成率20パーセントといわれていたE判定の中学校に合格した。本当にバカだったがなぜ受かったのか自分でもわかっていないらしい。偏差値もそこそこ高く少なくとも私よりはうえであった。本当に良かった。しかし戦いは続く

 

 

やめて!中学の期末試験の特殊能力で、英語を焼き払われたら、闇のゲームで英語と繋がってる弟の精神まで燃え尽きちゃう!

お願い、死なないで弟!

あんたが今ここで倒れたら、兄貴や母上との約束はどうなっちゃうの?

ライフはまだ残ってる。ここを耐えれば、英語に勝てるんだから!


次回「弟死す」デュエルスタンバイ!

 

 

やる気の出る条件

 一週間ぐらい放置していたこいつをがやっと動かせる時間ができた。といってもあと一時間後には出かけなければならないわけだが。

 とりあえず近況報告を少し。大学の生活が死ぬほど忙しく、ゼミの申し込みやら期末試験の勉強、キャンプに出掛けたり、渋谷で吐いたりなどしていた。その辺が落ち着き気が向いたのでこれを動かすわけだ。

 

 今日の話はやる気スイッチの条件についてだ。人によってやる気の出る条件は違うと思う。受験の時よく言われたのが水を一杯飲むことを習慣づけることでその行為をやる気スイッチにするというものだったが、なぜその行為がやる気スイッチになりえるかと考えたことはあるだろうか。

 これの言いたいことはつまり、普段の行動とは少し変わったことを意識してやることでそれに結びついたその後の行動へのスムーズな気持ちの切り替えを可能とすること。であると私は考える。例を挙げて詳しく説明していく、正直何を言っているかはわからないと思う。伝えるって難しい。

 お風呂を例としよう。ソファーに座りゆったりとくつろいでいる。時刻は11時、そろそろお風呂に入らなければならない。しかし動く気にはなれない。よくあることだと思う。しかし着替えを手に取るという行為をした瞬間勝手にお風呂に入る気持ちへと切り替わるだろう。

 別の例としては学校に行きたくないけど制服に着替えたらしぶしぶと学校に向かってしまうものだ。

 ようはやる気スイッチとは一概にいうが普段の生活には意識していないだけで切り替えるスイッチを無数に持っていると私は思う。食べる、寝る、性欲。これらは本能に基づいているので例外だが。

 これらのことから新しいことを始める際には普段やってないことを間に挟んでやると効果的なのではないかという考えだ。筋トレを行う前にパンツ一丁になる。これは私の行っているスイッチの入れ方だ。なかなか効果的で手軽にできる割に普段服を脱ぐ行為は限られているためスイッチになりやすかった。

 着替えなども効果的なスイッチになりえる。よく勉強する前に制服に着替えろというが上記の考えに基づいていると思われる。

 ここで一つ疑問がわいてくる。自分は勉強机に座っても宿題しないぞと。それはきっと君が普段そこで別のことをしてしまっているからだろう。例えば母親に勉強しなさいと言われたからとりあえず座っているだけとか、スマホ見てるだけとか。そうすると勉強机にすわることはだらだらスイッチとなってしまっているのだ。そういった場合には矯正するか、別のスイッチを探すしかない。矯正するためには勉強するぞと意識して机に座り勉強をしっかりとする。机に座っているときは絶対にスマホを触らない、だらけないことを意識しなければならない。そしてここが難しいのだがだらけたなと思っても席を立ってはならない。今度は席を立つことがだらけるスイッチとなりえてしまうからだ。私は別のスイッチを探すことをお勧めする。

 私がスイッチとしていることの例をいくつかおすすめとして書いておこうと思う。

 キシリトールガムをかむ、服を脱ぐ、普段着ない服を着る、声を出す、自分でコーヒーを入れる。などだ。自分のやりたい行動とスイッチの相性は人それぞれだろう。それらは自分で見つけるしかない。自分に合ったやる気スイッチを見つけられることを切に願う。

 最後に、最近課題しかやっていなかったので構文が非常にレポートに近いものになっている気がする。講義の時間だ。行ってくる。

普通サイズって必要なんだと気づいた話。

 昔から疑問だったことがある。それは普通サイズの存在についてだ。自販機で150円で変えるあのサイズと120円でほぼ半分の同じサイズが共存している意味が理解できなかった。これについては今でも理解できないが。

 昔から思っていたのだ。RサイズとLサイズがあったらLサイズのほうがお得だしなぜRサイズが存在するのか。大盛と普通盛があったら確実に大盛を選んでいた。過去の自分はきっとお金がない人が普通盛を食べているのだと。

 しかし近年身も心も衰えを感じる20代に差し掛かったこのころ。行きつけだったラーメン屋に久しぶりにいき大盛を頼んだ時に感じた。

 あれ、これ食いきれないんじゃね?と。

 腹がもういいかなと思うぐらい食べた後ふと皿を見てみる。いや覗き込んだ。いる、奴がそこに。圧倒的存在感を放つチャーシューにおそらくはスープに隠れているであろうラスボスの麺。魔王との最終決戦を前に僧侶しか残っていないあの絶望感。しかしこれが現実。自称麺ヘラの名のもとに残すことだけは許されない。そこからは本当に地獄だった。スープには汗と涙が交わり、汗と涙の結晶を体内へと取り込んでいく。しかし時に味方が敵に寝返るシチュエーションも存在する。今まで食欲を手助けしてくれていたニンニクが裏切ったのだ。冒険途中から加わったニンニクはラスボス戦にて勇者を裏切り敵へと寝返ったのだ。ニンニクの豊潤な香りとそのきついパンチによって箸が進まなくなった。しかしそれらを一掃するように天の恵みである氷水を流し込みながら懸命に箸を進める。ゾンビ作戦である。死んでは天の恵みで蘇生、そしてまた死ぬのサイクルだ。戦うこと30分。見ごとラスボスを倒しエンドロールが流れる。なるほど、これが年を取るということかと理解するとともに普通サイズって需要あるんだなと学んだ。

 エンドロールが終わるとちょっとしたおまけがついていた。そこにはトイレに跪く勇者の姿が。かれは何を思い、何をなすのだろう。続編に期待あれ。

大人になる瞬間

 大人になる瞬間とはどんな瞬間だろうか。様々な意見があるだろうが私はエンタメを楽しめなくなった瞬間がその一つであると思う。

 最近ポケモンのダイアモンドパールのリメイク版が発売されたがツイッターなどを見ると画質が良くないやらに答申がダメだのさんざんないわれ方をしていた。それをみてあんまりよくないんだな、買うのやめようと思ってしまった私はすでにあの頃の心を忘れてしまっているのだろう。他人の意見に振り回され自分の意見に耳を傾けなくなったのはいつからだっただろうか。いつの間にか自分のやりたいことではなく他人のしたいことに合わせるようになってしまったのだろうか。学校で人気なあの子が好きなことだから好きになろう。グループでこれがはやっているからやってみよう。今まではそれが楽しかったから一緒にやっていたが、大学に入ると女の子と遊ぼう。飲み会に行こう。

 正直あまり楽しくない。話していても女の子の話だったり、学校のことだったり、楽しくない。話を合わせるのもめんどくさい。しかしやらなければならない。それが付き合いというものである。

 友人のSNSを見るとグループ内でもいたりいなかったりするメンバーがいて遊ぶのにもこいつはよんでこいつはやめとこうみたいな選別があったりするのを見るといやな気持になる。

 気を使わなくていいから友達なのにそういったことが始まるとそれはなんか違う気がしてしまうのは私だけだろうか。それが成長するということなのだろうか。いやな思いをするのが成長するということなのだろうか。 

 私と同じ世代だったはずのダイパを楽しみにしていた同志たちはSNSで酷評ばかりを掻き立て、ダメ出しをする。プレイする前からなぜ決めつけられるのか。そもそもの前提としてダイパが私たちに作られていないことをなぜ理解できないのか。ポケモンは常にターゲット層は小学生たちに充てられている。私たちでないことをなぜ理解できないのか。キャラが二頭身であることは私たちの世代にしかわからないことであって今の小学生たちはダイパが所見プレイであるから違和感など全く感じていないはずだ。小学生たちが楽しめて今の私たちが楽しめないのは心が大人になってしまったからではないのか。

 人生において童心を忘れないことは大切である。今の自分に聞いてみてほしい。カブトムシと聞いて心は踊るか。ロボットに胸は踊るか。純粋にゲームを楽しめるのか。

 私はどうやらあの頃の心は持ち合わせていないようだ。カブトムシと聞いても、ロボットと聞いても。心は踊らない。ダイパだって厳選やレート対戦があって初めてやる気になるぐらいだ。あの頃の純粋にクリアを目指していたころの自分はもういない。そして戻ることもできない。

 人生において童心を忘れないことは大切である。みんな童心を思い出すことはできるのだ。ただ、あの頃の心に戻ることはできない。

 童心を忘れないこと。それは何事にも全力で結果を求めず、自分のやりたいことを突き通すことであると思う。私たちは計算し全力を出す場を選び、結果を求める。こうなってしまったとき、大人になった、いや大人になってしまったということなのだろう。