sa-montorautoのブログ

大学生による暇つぶしブログ

大人になる瞬間

 大人になる瞬間とはどんな瞬間だろうか。様々な意見があるだろうが私はエンタメを楽しめなくなった瞬間がその一つであると思う。

 最近ポケモンのダイアモンドパールのリメイク版が発売されたがツイッターなどを見ると画質が良くないやらに答申がダメだのさんざんないわれ方をしていた。それをみてあんまりよくないんだな、買うのやめようと思ってしまった私はすでにあの頃の心を忘れてしまっているのだろう。他人の意見に振り回され自分の意見に耳を傾けなくなったのはいつからだっただろうか。いつの間にか自分のやりたいことではなく他人のしたいことに合わせるようになってしまったのだろうか。学校で人気なあの子が好きなことだから好きになろう。グループでこれがはやっているからやってみよう。今まではそれが楽しかったから一緒にやっていたが、大学に入ると女の子と遊ぼう。飲み会に行こう。

 正直あまり楽しくない。話していても女の子の話だったり、学校のことだったり、楽しくない。話を合わせるのもめんどくさい。しかしやらなければならない。それが付き合いというものである。

 友人のSNSを見るとグループ内でもいたりいなかったりするメンバーがいて遊ぶのにもこいつはよんでこいつはやめとこうみたいな選別があったりするのを見るといやな気持になる。

 気を使わなくていいから友達なのにそういったことが始まるとそれはなんか違う気がしてしまうのは私だけだろうか。それが成長するということなのだろうか。いやな思いをするのが成長するということなのだろうか。 

 私と同じ世代だったはずのダイパを楽しみにしていた同志たちはSNSで酷評ばかりを掻き立て、ダメ出しをする。プレイする前からなぜ決めつけられるのか。そもそもの前提としてダイパが私たちに作られていないことをなぜ理解できないのか。ポケモンは常にターゲット層は小学生たちに充てられている。私たちでないことをなぜ理解できないのか。キャラが二頭身であることは私たちの世代にしかわからないことであって今の小学生たちはダイパが所見プレイであるから違和感など全く感じていないはずだ。小学生たちが楽しめて今の私たちが楽しめないのは心が大人になってしまったからではないのか。

 人生において童心を忘れないことは大切である。今の自分に聞いてみてほしい。カブトムシと聞いて心は踊るか。ロボットに胸は踊るか。純粋にゲームを楽しめるのか。

 私はどうやらあの頃の心は持ち合わせていないようだ。カブトムシと聞いても、ロボットと聞いても。心は踊らない。ダイパだって厳選やレート対戦があって初めてやる気になるぐらいだ。あの頃の純粋にクリアを目指していたころの自分はもういない。そして戻ることもできない。

 人生において童心を忘れないことは大切である。みんな童心を思い出すことはできるのだ。ただ、あの頃の心に戻ることはできない。

 童心を忘れないこと。それは何事にも全力で結果を求めず、自分のやりたいことを突き通すことであると思う。私たちは計算し全力を出す場を選び、結果を求める。こうなってしまったとき、大人になった、いや大人になってしまったということなのだろう。